『スノウ・クラッシュ』はディストピア的表現への風刺でもある:ニール・スティーヴンスンが語るSFの役割(前編)
小説家としての約40年のキャリアを通じて、ニール・スティーヴンスンは未来世界の複雑なヴィジョンを構築してきた。それはいま振り返ってみると不気味なほど先見の明があると感じられる。スティーヴンスンは、歯止めがきかないグローバル化、環境汚染、テクノロジー資本主義がわたしたちの地球を変える可能性について書いている。その過程で、暗号通貨、仮想現実、メタヴァースなどの概念を読者に紹介してきた。
新作『Termination Shock』[未邦訳]では、近未来を舞台に、風変わりな億万長者が、地球の大気中に硫黄を放出して気候変動の進行を遅らせる過激な計画を打ち出す。いかにも起こりそうなストーリーだ。恐らく。
『WIRED』シニアコレスポンデントのアダム・ロジャーズは、21年11月にUSおよびUKで開催された『WIRED』の年次カンファレンス「RE:WIRED」で、ニール・スティーヴンスンに話を聞いた。この記事ではそのインタヴューを含め、アダムにスティーヴンスンの人物像と彼の新作SF小説の射程について訊いた『WIRED』US版の人気Podcast「Gadget Lab」の模様を前後篇でお伝えする。
マイケル・カロレ(以下:マイケル) みなさん、こんにちは。「ガジェットラボ」にようこそ。『WIRED』のシニアエディター、マイケル・カロレです。
ローレン・グッド(以下:ローレン) そして、『WIRED』のシニアライター、ローレン・グッドです。
マイケル 今週は、『WIRED』のシニアコレスポンデント、アダム・ロジャーズも参加しています。アダム、今回も出演してくれてありがとう。
アダム・ロジャーズ(以下:アダム) 「シニア」の同僚たちとまた一緒で光栄です。
マイケル シニアのアダムさん(笑)、よろしくお願いします。今週は特別な番組をお届けします。アダムが、SF小説家として評価の高いニール・スティーヴンスンと行なった対談です。この対談は先週開催された「RE:WIRED」カンファレンスでのものです。
ニール・スティーヴンスンといえば、『スノウ・クラッシュ』や『クリプトノミコン』、あるいは3部作『Baroque Cycle』などの作品でご存知の方も多いでしょう。ぼくの個人的なお気に入りは、長編エッセイ「太初にコマンド・ラインありき」です。21年11月に発売された彼の最新作『Termination Shock』は、気候変動の影響で世界がほぼ破滅してしまった近未来の話です。
アダム、あなたは最近、『WIRED』US版に書いた記事のために、ニール・スティーヴンスンと対談しましたね。そして先週のRE:WIREDカンファレンスでも彼と話したばかりで、その内容をこのあとすぐ聴くのだけれど、いくつか大事なポイントを紹介してもらえますか。二度の対談では、気候変動についていろいろ語り合っていましたね。ニールは、ぼくたちはみな気候変動によって滅びる運命にあると考えているんでしょうか?
アダム その点について言えば、正直に言って、ニールがこの先どうなると考えているのかを訊き出すのは難しかった。スペキュラティヴ・フィクションやサイエンス・フィクションを書いている作家にしては、彼はあまり多くを語らないんです。『Termination Shock』のあらすじは、ある億万長者が政府の許可を得ずに、「ソーラー・ジオエンジニアリング(太陽地球工学)」と呼ばれる試みを行なうというものです。何百万トンもの硫黄を大気中に放出して地球を冷やすことで、気候変動を根本的に解決しようとする。これは、地政学的にも生態学的にも非常に大きな影響を与える企てです。
でも、「それは本当に起こると思いますか? そして、望ましいことだと思いますか?」と尋ねたところ、ニールは、「いえ、億万長者が実際にそうするとは思いません。この本の主人公はテック企業を率いる大富豪ではなく、石油産業で財をなした人物です。わたしの意図は、その行為の善悪について立場を明らかにしようとするのではなく、それはおそらく起こるだろうことであり、これから何が起こるかを読者に伝えようとしているのです」ということを語っていました。
正直なところ、これにはちょっと驚いたんです。というのも、ニールの作品の多くは、テクノロジーとそれを駆使する人間に対する批判に溢れているからです。特に、ある種のテクノロジストたちに人気のある人物に対してその傾向が強い。ニールはシリコンヴァレーの守護聖人のような存在だけど、彼の本の多くは、パロディとまではいかなくても、どれだけ懐疑的な筆致で書かれているかということを人々は忘れているように思います。
確かに『スノウ・クラッシュ』は1992年か93年ごろの彼の最初の大作で、「メタヴァース」という言葉を生み出した。でもそれは、「いつか人々がこれをすごいアプリにして、大金を稼ぐだろう」というようなものではありませんでした。彼は、まさにいま起きようとしていることに警鐘を鳴らしていたんです。だからとても面白かった。対談のなかでは、人類が破滅するのかどうか、そしてそれに対してどうすべきかについて、ニールが率直に語るところとそうでないところの両方が出てきます。
ローレン 面白かったのは、対談の冒頭で、メタヴァースとその商業化についてあなたが彼に質問していますよね。そして、『スノウ・クラッシュ』の一節を読み上げている。その口調は、「かつて自分が書いたこのディストピア的な小説について、現在の考えを聞かせてください」という感じでした。そしてニールは実際、メタヴァースについて書いたとき、このアイデアにかなり注目していたと語っています。
アダム そうですね、読者が作品から感じるものは人それぞれだけど、ぼくには当時あの本がニュートラルな立場で書かれたとは思えなかったし、いまもニュートラルだとは思わない。ニールがとても興味深いのは、『WIRED』に記事を書いたことも、『WIRED』の記事になったことも両方ある、数少ない人物のひとりだということです。
彼が『WIRED』に寄稿した記事のなかには、10年ほど前に掲載されたものもある。彼は、他のSF作家への呼びかけとして書いた有名なその記事で、「SFはあまりにもディストピア的で、ポストアポカリプス(終末後の世界)風の重苦しいものになってしまった。わたしたちはSF黄金時代のルーツに立ち返り、気候変動のような、われわれが現在直面している人類の生存にかかわる問題に、大きな技術的・科学的解決策を提示すべきだ」と述べています。
それは彼のような、所属するSFコミュニティにおいても、また『WIRED』のコミュニティにとっても重要な人物が、SFは本来の役割を果たしていないと主張したのは、重大な問題提起でした。SF作家はもっと大きなことを考えなければならない。エンジニアや科学技術者、億万長者、起業家たちはスケールの大きな発想をしていないから、自分たちが彼ら/彼女らのために大きなことを考える必要がある。自分たちがアーサー・C・クラークやアイザック・アシモフに触発されたのと同様に、今度は彼ら/彼女らがSF作家から触発されるようにするべきだ、と。当時の作家たちは別の理由でも問題を抱えていたけれど、ニールの主張はそういうことでした。
でも、ぼくや他の誰かが、この本の刊行イヴェントで「あなたの意図はこういうことでしょうか。ここに描かれている大がかりなテクノロジーが、人々にインスピレーションを与えることを望んでいるのですか?」と尋ねると、ニールは「わたしはこの問題がいかに複雑なものであるかを描こうとしたのであって、自分の立場を主張しているのではありません」と言い、誰かがきっとそれをやると思う、それは何を意味するのか、そのときわれわれはどう対処するべきなのかということなのです、と語っています。難しいですね。もっと上手に質問すべきだったかもしれません。
マイケル あなたはとても上手に質問していたと思います、とくにニールのような人を相手にね。ぼくたちはみんな10代の頃から彼の本を読んでいる。そして、きみが言ったように、彼の哲学は、ぼくたちが気づいているかどうかにかかわらず、日常生活に浸透しているんです。自分に大きな影響を与えた作家にインタヴューするのは、さぞかしクールでしょうね。
アダム ええ、それはまた別の話ですね。というか、そのとおりです。ニールの本は全部読んでいるし、今度の本が好きかどうか、面白いと思うかどうか、人からよく訊かれるんです。そして、ぼくが答えられるのは、「それには答えられません」ということだけです。なぜなら、ぼくにとっては読むのが当然だから。ぼくは92年から、ニールの本をすべて読んできました。いまでも覚えているのは、このインタヴューでぼくがカメラに映して彼に見せた本は、夏休みのアルバイトを切り上げて本屋に行き、自分で買った本だったということです。「これはいったい何だろう?」と思って買ったんです。そして読んでみた。『スノウ・クラッシュ』の最初の30〜40ページは、SF小説史上有数の冒頭部分だと言っていい。
それ以来、ずっと彼の本を読み続けています。「『ドクター・フー』の新シーズンはどうだった?」と人から訊かれたときのような感じです。どう言えばいいのか……答えようがないんです。観ないわけにはいかない番組だからね。だからどちらでもいいんです。他の人の気に入るかどうかはわからないけれど、ぼくには合っているんです。
実はニールは、ぼくがジャーナリストとして駆け出しのころ、最初にインタヴューしたSF作家のひとりでした。ぼくは当時、90年代に築かれたオタク文化について、SF作家たちに尋ねていたんです。ニールは、ぼくが電話をもらって興奮した最初の人物のひとりでした。なので、ああ、この対談は自分のキャリアの最初と最後を飾るものだ、と思わず口にしそうになったんです。そうでないことを願っているけれど。
マイケル もちろん、もう少し長く活躍してください。
ローレン ええ、あなたがいま言ったことは、このポッドキャストの目標でもあります。みんなに「さて、自分ならどうするだろう?」と考えてもらう、といわけです。さあ、ではここで、「RE:WIRED」で収録された、作家のニール・スティーヴンスンとアダムの対談をお送りします。
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アダム みなさん、RE:WIREDの次のセッションにようこそ。わたしは『WIRED』のシニアコレスポンデント、アダム・ロジャーズです。そして、わたしの大好きなSF作家のひとり、ニール・スティーヴンスンをお迎えすることを嬉しく思います。ニール、ほんとうにありがとうございます。
ニール・スティーヴンスン(以下:スティーヴンスン) こんにちは、アダム。出演できて光栄です。
アダム 来週、『Termination Shock』という新刊を発売しますね。
スティーヴンスン 本を出すのはいつも火曜日なんです、なぜか古代の儀式のようなもので。
アダム このセッションはほぼその新刊の話になるのですが、最初の質問としてあなたに予告していた、そして少なくともこの数週間、誰もがあなたに尋ねていたはずの質問から始めたいと思います。これはわたしが1992年に購入した『スノウ・クラッシュ』です。
スティーヴンスン おお、すばらしいですね。
アダム これはぼくにとって懐かしい本で、発売されたその年の夏に、当時やっていたアルバイトを昼休みで早退して本屋に行き、手に入れたものなんです。ゴーグルを装着するとそのスクリーンに映像が映し出され、ヘッドフォンにはステレオサウンドが流れるという、今日ではおそらく「ヴァーチャルリアリティ」と呼ばれる体験が、数ページにわたって説明されたあとで、22ページ目にこんな段落があります。主人公の名前はヒロ。
これはあなたの造語です。なのでこう長々と説明して恐縮ですが、いまやメタヴァースという語が定着していて、それはあなたが意図したであろう「警告」という意味ではなく、少なくともソーシャルメディアにおける次の大きなビジネスチャンスとしてです。あなたはそうしたビジネスの側面には関与していないと思いますが、人々がこの本を読んだうえで「メタヴァース」という言葉を使っているのかどうかについて、あなた自身はどう考えているか教えて下さい。この造語が使われていることを、あなたはどう感じていますか?
スティーヴンスン 多くの人が指摘しているように、この本の全体的なトーンは大まかに言えばディストピア的なのですが、本来はユーモアの要素をもったディストピア的な世界観を描こうと意図していました。ディストピアであると同時に、SFというジャンルでお決まりのテーマになったディストピア的な表現を風刺したものでもあるのです。だから、ここ数週間や数カ月の間に人々がメタヴァースについて盛んに議論するなか、それに懐疑的な人々は、現在いくつものハイテク企業が取り組んでいるメタヴァースについて、『スノウ・クラッシュ』のディストピア的な性質に何かの手がかりがある、あるいは何かを意味していると指摘する傾向があります。わたしはそのように理解しています。
『スノウ・クラッシュ』のなかでは、メタヴァース自体はディストピア的なものでもユートピア的なものでもないと思います。つまり、描かれている世界にただ存在しているものなんです。人々は作中で、自分が送っている陰鬱なディストピア的生活から抜け出すための手段として、頻繁にメタヴァースを利用しています。あなたが読みあげた文章のなかで、ヒロがしているのがまさにそれです。現実の彼は、空港のそばのコンテナ倉庫に住んでいます。しかし、メタヴァースでは、彼はより充実した美しい体験をすることができます。ですから、この本で描かれているメタヴァースは、ある意味ニュートラルなものだと思います。ディストピアでもユートピアでもなく、人々がそれによってカタルシスを得るものなのです。
アダム そうしたニュートラルな、あるいはディストピア的かユートピア的かという考えについては、『Termination Shock』にとっても重要なことだと思うのでうかがいます。実は『スノウ・クラッシュ』がSFであることがわかるのは、誰かが空港の近くにヒロが住むための住宅を建てたからで、もちろん現実ではありえないことだからです。いまはまだそうしたことは実現していません。ヒロは(メタヴァースで)住む場所を手に入れることができるのです。明らかに、当時のあなたの予測能力は限られていたようです。
スティーヴンスン ええ、不完全でしたね。
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