MIT Tech Review: 楽天も出資する量子コンピューター企業、256キュービットの新記録
ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)の物理学者たちがついに、量子コンピューティングの「キラーアプリ」を発見した。キュービット(量子ビット)で描かれたマリオブラザーズのGIF画像である。このキュービットは、スペースインベーダーやテトリスなどの絵に変更することもできる。どんな図柄も描けるキュービットなのだ。
このGIF画像を作成したのは、ボストンのスタートアップ企業であるキュエラ・コンピューティング(QuEra Computing)だ。自社の256キュービットの量子シミュレーターのプログラム能力を示すため、このほどお披露目された。量子シミュレーターとは、特定の種類の問題を解くために構築された、専用の量子コンピューターである。
キュエラの量子シミュレーターは、量子コンピューティングの規模を拡大し、実際的な問題を解く能力を向上させようという試みにおける最新のブレークスルーだ。キュービットの数が増えれば増えるほど、より多くの情報を保存して処理できる。量子技術の開発に携わる研究者たちは、より多くのキュービットを実装すべく、常に競い合っている。
2019年にグーグルは、自社の53キュービットのシステムが「量子超越性」を実現し、従来のコンピューターでは処理できないタスクを実行したと発表した。だがIBMはそれに異議を唱え、同じ年に53キュービットのコンピューターを独自に開発した。2020年にはイオンQ(IonQ)が32キュービットのシステムを披露し、「世界で最も強力な量子コンピューター」と紹介した。そして2021年の11月第3週には、IBMが127キュービットの新型量子プロセッサーを公開したばかりだ。同社のプレスリリースでは「設計のちょっとした奇跡」と表現されている。「実際に稼働することは、私からすると大きなニュースです」と、IBMのジェイ・ガンベッタ量子コンピューティング担当バイスプレジデントは述べている。
だがキュエラは、そうしたライバルたちよりもはるかにキュービット数の多い装置を開発したと主張している。
もちろん、量子コンピューティングの最終的な目標はテトリスをすることではなく、実際的な問題の処理において従来のコンピューターを超越することにある。おそらくは10年から20年以内に、量子コンピューターに十分な性能が備われば、医療や金融、神経科学、AI(人工知能)の分野に変革を起こす可能性があると専門家は考えている。そうした複雑な問題に対処するには、数千キュービットの量子コンピューターが必要になるだろう。
しかしながら、重要なのはキュービットの数だけではない。
キュエラは、自社の装置のプログラム能力の向上についてもアピールしている。それぞれのキュービットは単体の極低温原子としてコンピューターに存在し、それらの原子は連続的なレーザー(物理学者は「光ピンセット」と呼んでいる)で正確に配置される。キュービットを配置することでコンピューターがプログラムされ、研究対象の問題に合わせて調整される。さらには、計算処理の最中にリアルタイムで配置を再構成することも可能だ。
「さまざまな問題に対処するためには、原子をそれに合わせて配置する必要があります」。この技術の共同発明者でもある、キュエラのアレックス・キースリング最高経営責任者(CEO)はそう語る。 「当社のシステムの独自性の1つは、稼働させるたびに、1秒に数回というペースでキュービットの配置や接続を完全に再構成できるところにあります」。
キュエラの機械は、当初の設計図や技術を何年かかけて洗練させた末に完成したものだ。プロジェクトを主導したのは、ハーバード大のミハイル・ルキン教授とマーカス・グライナー教授、およびMITのヴラダン・ヴレティク教授とダーク・イングランド教授である(全員がキュエラの創業チームのメンバーだ)。2017年当時、ハーバード大のグループが開発した初期モデルは51キュービットしか使用していなかったが、2020年には256キュービットのシステムを実現した。キュエラの開発チームは2年以内に1000キュービットに到達すると想定している。さらに、プラットフォームの設計はあまり変えずに、数十万を超えるキュービット数にまでシステム規模を拡大するとしている。
そうした飛躍的な規模拡大が可能になるのは、キュエラ独自のプラットフォームのおかげだ。具体的には、システム構築の物理的な方法や、情報をエンコードして処理する方法に起因している。
グーグルやIBMの量子コンピューティング・システムでは超伝導キュービットが使用され、イオンQは捕捉イオンを使用している。それに対し、キュエラのプラットフォームは中性原子の配列を利用しており、そこから驚異的なコヒーレンスが生み出される(つまり「量子性」が高い)。システムはレーザーパルスを使って原子を相互作用させ、あるエネルギー状態に励起させる。1888年にスウェーデンの物理学者ヨハネス・リュードベリが唱えた「リュードベリ状態」である。そうすることで、量子ロジックを高い忠実度で安定して再現できるのだ。量子コンピューティングでは、リュードベリ状態を使う手法が何十年か研究されてきたが、信頼性の高い状態で実現するにはレーザーや光工学などの技術的進展が必要だった。
ハーバード大のルキン教授の一連の研究を初めて知った時、バークリー量子コンピューテーション・センター(Berkeley Quantum Computation Center)のウメーシュ・ヴァジラーニ所長(コンピューター科学者)は、「我を忘れるほど興奮しました」と言う。素晴らしいアイデアだと思えたからだ。だが同時に、自分の直感が現実に即したものかどうか自問したという。「超伝導やイオン捕捉など、よく考えられた手法がいろいろあり、長い間研究されているのに、別の手法について考えなくてもよいのだろうか?」と。ヴァジラーニ所長は、カリフォルニア工科大学の物理学者である量子情報物質研究所( Institute for Quantum Information and Matter)のポール・プレスキル所長に尋ねてみた。すると、プレスキル所長は、ヴァジラーニ所長の高揚感は妥当なものだと答えた。
キュエラの量子シミュレーターに限らず、リュードベリ状態を利用するプラットフォームでは、量子もつれが大きくて相互作用の強いキュービットが発生するため、プレスキル所長は興味深いと感じている。「『量子のマジック』が存在する場所ですね。比較的短い期間で想定外の結果が見つかる可能性があります。非常に興奮しています」。
キュエラは、量子論に基づく材料や力学のシミュレーションや研究に加えて、非常に難易度が高いことで知られる「NP完全」な計算最適化問題を解く量子アルゴリズムの開発にも取り組んでいる。「まさに、科学的な用途における量子の有用な優位性を物語る初めての例です」とルキン教授は言う。
キュエラには楽天も出資している。楽天はインターネットサービスや電子商取引、フィンテックを扱う日本企業で、4Gや5Gのモバイルサービス用のアンテナの設置場所の最適化に関心を示している。「配送ルートから在庫ポートフォリオや検索エンジン、商品やサービスのおすすめに至るまで、多くの最適化問題の解決が期待できます」と、同社の北川拓也チーフデータオフィサーは言う。「夢は大きいですね」。
しかしながら、キュエラのシステムが最適化問題において従来のアルゴリズムを超越する可能性について、プレスキル所長はそれほど楽観的ではない。プレスキル所長は、「量子超越性」(従来型コンピューターができないことを量子コンピューターが実現すること)という言葉を編み出した本人だ。「最適化において間もなく量子の優位性が実現するという確固たる理論的な議論はありません。ですが、研究する価値はもちろんあります」。
プレスキル所長は、自社のプラットフォームを研究開発のために広く開放するというキュエラの計画に注目している。システムをいろいろいじってみる人がたくさんいれば、システムの優れている部分を見出しやすくなる。研究者たちがテトリスやスペースインベーダーで遊び呆けることのないよう願うばかりだ。