<パラ見るワールド>サッカー元代表“TJ”田中順也、担当記者に託した三沢拓への伝言
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0コメント0件サッカー日本代表候補合宿で練習する田中順也(右)=札幌市厚別区の厚別公園競技場で2011年8月1日、貝塚太一撮影
Jリーガーと片足のスキーヤー。一見、何の接点もない2人は競技、障害の有無を超えて友人となり、ライバルでもあった。サッカー元日本代表のFW田中順也(J3岐阜)とパラアルペン男子立位の三沢拓(ひらく)=SMBC日興証券。2人は順天堂大の同級生の34歳。三沢にとって集大成となる5大会目の北京冬季パラリンピックを前に、田中が心からのエールを送る。 「拓と僕は特に野心があった。2人とも『仲良くなれそうだな』って言いながら。競技が違うけれど、性格がすごく明るいし、本当に意気投合した」 出会ったのは入学後すぐ。寮の一室だ。部屋が隣接する数人のうちの一人として顔合わせをした際、第一印象で通じ合うものを感じた。 視線、向いている方向が一緒だった。 「『世界に行くんだ』って言ってましたね、2人で。今考えればすごくポジティブ。拓も人並み外れた発言をして自分を奮い立たせるタイプだったし、僕も(いつまでに海外に行きたいかなど)計算していたわけではなく単なる無知だった。どっちが有名になるか勝負だなって感じ。(そのために)人の上を行かないといけない。お互いが上を目指しているので、どっちが上だ、どっちが上だっていう掛け合いをふざけてやっていた。そんなライバル関係でした」 決してエリート街道とは言えない、一般推薦で大学に入った田中。三沢も全国的に珍しい片足のスキーヤーとしてパラリンピックを目指した。先に世界に出たのは三沢。2006年トリノ冬季大会でパラリンピック初出場を果たし、回転で5位入賞。その姿は田中に大いに刺激を与える。 「拓は講演をしたり、自分の本を出していたり、(出身地の)長野では有名だった。(出会った時から)英語を話し、パソコンを使って海外の人ともやり取りしていた。そういう姿は後々の自分のキャリアにも生きた」 三沢は6歳の時、トラックにひかれ、左足を切断した。競技をする上でも、日常生活においても苦労があったはずだった。それでも田中は三沢をいわゆる「障害者」だと感じたことがない。 「障害に対して完全に乗り越えていた。めちゃくちゃ力強い。パワフル。メンタルが当時からプロフェッショナルだった。そこは完全に見習うところだと思った。幼少期にいろいろあったとしてもそれを乗り越えて今があるんだろうなと感じた。やっぱり何かをなすためには、ハートが強くならないといけないと思った」 大学時代、後にJリーガーとなる選手らに三沢も加わり、遊びの延長で「鳥かご」という練習が始まる。円の中にいる三沢が「鳥」だ。円を作る選手のパス回しを三沢がカットするまで練習は終わらない。 「容赦しないですよ。向こうもそれでめげないですからね。一生懸命ボールを追ってきますから」 ◇田中があえて「激励しない」理由 田中は順大在学中に柏の強化指定選手となり、プロ入りのチャンスをつかむ。日本代表まで上り詰め、海外移籍も経験した。帰国後もJ1の舞台でいくつものタイトルを獲得した。 卒業後も三沢との交流は続いた。しかし三沢が田中の活躍のたびにメッセージを送るのに対し、パラリンピックなどの大きな大会を前にして、田中が三沢を激励することは少ない。なぜか。それは誰よりも友人の歓喜を願うからだ。5大会目となる北京。三沢はメダルの獲得はまだない。 「本当に大学の友達は、拓にメダルを取ってほしいと思っている。本人も多分自覚しているし、だからそれがプレッシャーになってほしくない。それくらいみんなが願っているんですよね。あれだけ人を引きつける人間もなかなかいないですし、そういう人が、メダルを取れないというのも悲しいじゃないですか」 34歳。競技は違えど、ベテランの域に入ってきたのは間違いない。田中は今季、J1神戸からキャリア初となるJ3の舞台、岐阜に移籍した。三沢も今大会を集大成と位置付けている。 「競技って本当に時間が限られている。絶対に『引退』はやってくる。最後は、いかに楽しむかしかない。終わりが近付いてきて、競技を楽しめなくなるのが一番つらい。子供の時に一番楽しかったからこそ今、続いているわけだから」 だからこそ――。集大成の北京に挑む友へ掛ける言葉はこれしかない。 「本当に楽しんでほしい。楽しんでメダルを取れたら最高だなと思っています。とにかく、今を楽しんでくれって。あと(伝えるのは)『この取材以上には連絡しないよってことです』(笑い)」 最高のゴールを切に願っている。【生野貴紀】 ◇三沢拓から田中順也へ メッセージ全文 第一印象は目がクリッとしていてイケメン、体ががっしりしてるなと思った。大学時代から強烈なシュートを決めていたけど、書く字がすごくキレイで繊細なところもあるんだなと。歌うことが好きなのでカラオケや大学の寮でも俺が歌を口ずさんだりしていると、勝手にハモったりしてくるのが楽しかった。 じゃれている時に、ボールを順也から奪おうとしても手のガードと体幹の強さでびくともしなかったのを覚えている。 勝負強いというか少ないチャンスでもそれを自分で結果に結びつけるアスリートだと思う。 大学サッカーの関東リーグで順也たちの試合はほぼ全試合を見に行っていたけど、途中出場で2得点を何試合か連続でやっていて、すごいなというか、決定率の高さにびっくりした。 プロになってからも柏では先発のチャンスを得た時に、しっかりと結果を出してスタメンになっていた。神戸では少ない出場時間の中でもなんだかんだ毎年点を決めていた。(ルーキーの09年を除き)Jリーグで点を取っていない年はない。ここ1、2年は試合に出られなくても腐らず頑張っている姿がとても刺激になっていた。 連絡を取ればいつも元気だしサッカー以外に自分の大好きな服も自分でブランドを設立して、行動力ある姿がかっこいいと思っている。 順也は親しい友人でありながらちゃんと結果を出し続けているプロのアスリートという感じ。俺自身も結果を求め続けています。 ◇ 北京冬季パラリンピックに関わる選手や関係者、家族らの「パラワールド」。観戦のお供になる、とっておきの情報を紹介します。
最終更新:毎日新聞