沿って, smartwatches 28/03/2023

転職を重ねた“Mr.ジョブチェンジ”、DMMに見出した「おもちゃ箱」のような魅力とは!?

「決して“きれいなキャリア”じゃないんです」工業高校を卒業後、4年間で7社ほど転職をくり返した。器用で好奇心旺盛だが、すぐ飽きてしまう。そんな彼が変わったのは、マーケティングに出会ったことだった。仕事を転々としていた男は何を見つけたのか――。合同会社DMM.com デジタルマーケティング部 部長 武井慎吾氏に話をうかがった。Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。

転職を重ねた“Mr.ジョブチェンジ”、DMMに見出した「おもちゃ箱」のような魅力とは!?

チャンスがあれば飛び込んだ、キャリア前半

合同会社DMM.com デジタルマーケティング部 部長 武井慎吾氏

林: Webに触れたきっかけから教えてください。武井: 現在35歳になりますが、中学生のときに当時のガラケーでiモードを使ってインターネットの世界に触れたのが始まりです。その後、高校生になってパソコンを所有してからは加速度的にインターネットの世界にハマっていき、毎日朝までオンラインゲームをしたり、プログラミングを覚えて簡単なゲームを作ったりしていました。林: ゲーム業界にいたこともあるそうですが、キャリアのスタートは?武井: 工業高校で電気・機械を学んでいたので、卒業後は機械メーカーに就職し、メカニックエンジニアとして働きはじめました。あまり好きじゃないことがわかり、すぐ辞めてしまいましたが。そこから数社を挟んでオフィスワーカーになるべく、大手家電量販店に転職。本社勤務で営業事務や在庫管理、店頭売り場のコーディネートや販促など、さまざまな業務に従事していました。その傍ら、独学でデザインやHTML、コーディングを学んでフリーのデザイナーとしても活動していました。当時クラウドソーシング系のサービスはまだ存在せず、知り合いなどから仕事を紹介してもらい美容室や飲食店などのWebサイトや名刺の制作をしていました。マーケティングの世界に飛び込むまでの間に約7社を転々としていますが、言ってしまえば同学年の人たちが大学に通っている間、いろいろな業界に入り、相性のいい仕事を模索していましたね。林: なるほど。この模索期からすでにWeb制作を実務で経験されているんですね。ゲーム業界を経験されたのも、この頃ですか?武井: 20歳頃です。ゲームを仕事にしたいと思いゲームの専門学校に入学し、講師の先生からゲーム会社を紹介されたご縁でゲーム業界へ。専門学校は3か月で辞めてしまったのですが、その会社には企画兼プログラマーとして入社し、広告宣伝も担当しました。結局、同僚にくらべてゲーム制作への熱量がないことに気づき、ゲーム業界自体は1年半程で辞めてしまいました。このタイミングから「自分は仕事に何を求めるのか、何が楽しいのか」を考えるようになり、人生における1つの分岐点になったと思います。森田: 僕もゲームの専門学校に進学しましたが、卒業制作でゲームを作るのがしんどくて(笑)。僕はゲームを作るよりもプレイするほうに熱量があると気づいて、作り手側にはいかなかったので気持ちはなんだかわかります。林: ゲーム会社含めて、実に多様な業種に未経験で採用されているわけですが、その理由をご自身ではどう分析しますか?武井: チャンスがあれば飛び込むタイプだからですかね。できないことも「できる」と言っていましたし、実際にやってみせる謎の自信と体力がありました。睡眠時間が少なくても平気だったので、みんなが寝ている間に学んで、気合いで乗り切ったこともあります。あとは、社会人経験があったことと、パソコンを使いこなすスキルがプラスに働いたかなと。MicrosoftのOffice系、プログラミングやPhotoshop、Illustratorも使えるということで、当時はそのスキルを持っているだけで重宝されました。林: できないこともやってのけるには「できる」と宣言するにとどまらず、実際できるようにする行動が必要だったと思いますが、必要な知識・スキルなどはどのように身につけたんですか?武井: 今ほどインターネットで何でもわかる時代ではなかったので、書籍を中心に学びました。あとは先に「やる」と宣言して、逃げ道を塞いでやりきる。それで進んできたのがキャリアの前半です。

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最終更新:Web担当者Forum