「神さまがいるなら、思いっきり殴ってやりたい」。がんを経験した「はんにゃ」川島の今
2015年に腎臓がんの手術をしたお笑いコンビ「はんにゃ」の川島章良さん(40)。妻へのプロポーズの夜にがんが見つかり、人生の最高潮から転がり落ちる感覚を味わいました。病気を通じて学んだことを綴った「はんにゃ川島のお笑いがんサバイバー」を上梓するなど、自身の経験を発信することに注力してもいますが、川島さんにとってがんとは何なのか。思いを吐露しました。
がんと分かったのは2014年の11月でした。当時交際していた今の奥さんにプロポーズをしようと思って、温泉旅行を企画したんです。
指輪よりもバッグを喜んでくれそうだとか、事前にリサーチをして、バッグも購入して車に隠しておいて、準備万端整えて、その日を迎えました。
奥さんがお風呂に入っているタイミングでバッグを車から取ってきて部屋で待っていました。その時にメールが来たんです。お世話になっているお医者さんからでした。
バッグを買うのと同じように、結婚に向けてもう一つ準備というか、やっていたことがありまして。「結婚するんだし、しっかり体も調べておこう」と健康診断を受けていたんです。
「今度、ご両親とマネージャーさんと病院に来てください」
これはただ事じゃないなと。すぐに先生に電話したら「実は、腎臓がんの疑いがあります」と。シンプルに「なんで、このタイミングなんだ」と思いました。もし神さまがいるなら思いっきり殴ってやりたい。そんな気持ちになりました。
「自分は死ぬ」。直感的に思いました。すぐに携帯電話で腎臓がんのことを調べました。どうしても悪い情報というか、怖い情報に目がいくんです。そうなると、さらに「オレ、死ぬんだ」という思いが頭を支配していきました。
それなら、もう結婚しても仕方ない。このプロポーズもやめよう。赤ちゃんも奥さんのお腹に宿ってくれていたんですけど、もうこの子も生まれてこない方がいい。それも思いました。
恐らく10分くらいだったと思うんですけど、その間に人生の絶頂からどん底を味わった気がしました。そうこうしてるうちに、奥さんがお風呂から出てきたんです。
オレがものすごい顔をしてるんで「どうしたの?」と聞かれました。言わないつもりだったんですけど、思いがあふれすぎて言っちゃったんです。
そうしたら、奥さんは泣き崩れるわけでもなく「良かったじゃん」と言ってくれたんです。そして「お腹の子が見つけてくれたんだよ。天使の子だね」と。その言葉を聞いた瞬間、また違う感情が湧きあがってきて、どん底から引き上げられた気がしました。
ただ、それ以降ももちろん葛藤はありました。自分の中にがんがある。しかも、進行性で今生きているこの瞬間もどんどん広がっているのかもしれない。今、リンパから全身に広がっているのかもしれない。「死ぬのかな」。この思いはいつもありました。
そこから検査を重ねて今で術後7年が経ちました。一応、5年が一つの区切りと言われていて、なんとかそこは越えることができました。
不安な日々ではあったんですけど、それを過ごしてこられたのは周りの人たちが普通に接してくれた。これが大きかったと僕は感じています。
病気になってもなんとか普通に暮らしたい。普通でいたい。それでなくても病気のことをいつも考えているのだから、ゆっくりする時くらいは病気を忘れたい。
なかなか難しい感覚なのかもしれませんけど、そこに周りがナチュラルに寄り添ってくれた。これが本当にありがたかったですね。
実は、相方の金田(哲)とも、病気をする前は一番険悪なムードだったというか、解散ギリギリまで揉めていた時期でもあったんです。
お互いにうまくいかず、方向性が見出せない。コンビとしての根本であるはずのネタ合わせでいつもケンカになるので、さらに前に進むことが難しくなる。
金田ももうやりたくないと言うくらいの状況になっていたんですけど、そこで僕のがんが見つかった。死ぬかもしれない。いなくなるかもしれない。そこで互いに互いのことをもう一度考えて、そこで認め合ったというか。
何か言葉で言われたとか、こんな話をしたとか、そういうものがあった方が分かりやすいのかもしれませんけど、向こうもそういうタイプではないので(笑)、普段の態度の中に少しずつそれが入っているというか。
でもね、そうやって特に変わることなく、でも気にかけてはくれている。その距離感に自分はすごく救われましたし、ありがたいことでしたね。
奥さんも、もちろん心配はしてくれてはいたんですけど、それを前面に出さないというか。
例えば、食卓に友達のお父さんからもらった新生姜をおかずの一品として出してくれたんですけど、実はそれはがんに対して良い流れが期待できるということで友達のお父さんがくれていたものだったらしいんです。
でも、それを「がんに良いらしいから」とは言わず、単に「友達のお父さんからもらったから」とだけ言って出してくれてたんです。
すごくややこしい言い分なのかもしれませんけど、その新生姜を「がんに良いから」と言われて出されたら、すごく複雑な気持ちになってたと思うんです。
細かくて微妙なところなんですけど、その匙加減というか。奥さんはそれを分かった上で、そうしていてくれたんです。そう考えると、より感謝が増すというか。ありがたいなと。
がんになったことは本当に大変なことですし、今も不安はあります。でも、がんになって180度あらゆるものが変わったとも感じています。新たにスタートできたというか。
今までは目の前にある仕事をとにかくこなす。これは適当に流すということではなく、もちろん一つ一つ一生懸命にやるんです。ただ、目の前のことをやってまた明日を迎える繰り返しというか、そこからどうしたいとか、これがやりたいというものがなかった。
がんになって、本当にいつ何が起こるかもしれない。その思いもあって、自分ができることは100%チャレンジしておこうと思うようになりました。
娘ががんを見つけてくれたようなものなので、少しでもその思いを娘に返せるように育児の資格を取ったり、ゲームはもともと好きだったんですけど、さらにeスポーツの世界に入っていったり。もし、何かあっても後悔しない生き方というか。それを意識するようになりました。
ただ、あまりにもそうやって毎日全速力で走り続けるのも大変ですし、そこは無理のないバランスというか、頃合いを見ながらやっている感じです。
そして、こういう取材などでお話をさせてもらう度に、病気になった時の思いやそれからの時間を反芻して「生きてるだけでいいんだ」という根本の思いをもう一度思い出す。そして、それを噛みしめる。そんなこともさせてもらっています。
あと、これは芸人としての感覚なんですけど、僕はフリートークとかが得意じゃないタイプだったんですけど、がんに関する講演を数年前から実はたくさんやらせてもらうようになって、そこの感覚も変わってきたんです。
一回の講演で60分から90分、僕一人でしゃべるんですけど、全部真面目に話すのもお客さんが退屈だろうし、楽しく笑ってもらうところも作りながらそれだけの時間、話す。ここはね、明らかに芸人としてスキルアップしたところだと思います。
僕が講演会をしていると聞いたら驚く先輩もたくさんいましたし、相方も「大丈夫なのか?」とそこはストレートに心配してました(笑)。
病気は本当に大変です。簡単なものでもありません。ただ、僕の場合はそのことでいろいろなありがたさも感じたし、芸人としての幅を広げることにもなりました。誰にでも当てはまることではないのかもしれませんけど、そこから何かを感じてもらえれば。そんな思いもあって、講演も続けているし、今回の本も出したんです。
ただ、今でも講演ができているとはいえ、流ちょうに完璧なしゃべりができているかといえば、そこは「?」ではあるんですけどね(笑)。
一切逃げ場のない60分一本勝負ですから。もともと、僕は急におかしなことを言ったりするタイプなのに、誰も修正する人もいない。
最近は、さすがに自分でも「あれ、今、変な言い間違いをしたかな…」と少し気づくようにはなったんですけど、もしそういう違和感を覚えても、そこはたじろがず突き進む。そこからも力強く話し続けて、なんとなくなかったことにしていく。その技を覚えました(笑)。
(撮影・中西正男)
■川島章良(かわしま・あきよし)
1982年1月20日生まれ。東京都出身。NSC東京校10期生。同期の金田哲と2005年にお笑いコンビ「はんにゃ」を結成する。同期は「オリエンタルラジオ」「フルーツポンチ」ら。などがいる。 「ズクダンズンブングンゲーム」という独自のゲームを行うコントなどで注目を集め、フジテレビ「爆笑レッドカーペット」への出演でさらに知名度を上げる。14年に腎臓がんであることが判明。同時期に妻にプロポーズをし、妻の妊娠も分かる。15年、長女が誕生。 2月18日に闘病で学んだことを綴った「はんにゃ川島のお笑いがんサバイバー」(扶桑社)を上梓した。