コンピュータは生態系といかに共存できるか(新潮社 フォーサイト) - Yahoo!ニュース
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5コメント5件鈴木、森田両氏の討議はいっそう熱を帯びたものになっていった
(前篇からつづく)
生態系のなかのコンピュータ
森田 前作『数学する身体』では大きくいえばチューリングが主役の前半と岡潔に焦点を当てた後半に分かれているのですが、『計算する生命』は僕のなかでは、前作の前半に対応していて、これからまた「後半」を書き進めていく必要があると思っています。今回の第四章はその意味で、後半に接続していく予告編のようなところもありつつ、今日の対話のなかで、そこへ進んでいくための大きなヒントをいただいたような気がしています。鈴木 古代ギリシア数学の歴史から来て、一九世紀に一つの極致に達したあと、今度はターンして人工知能や人工生命が出てきた。人類史、生命史自体をもう一回この地点から振り返って、もう少し考えてみると何かが見えてくるかもしれません。いったい人類は何をやっていたんだろうか。もう一周回すと、さらに深掘りできるかもしれません。 「ハイブリッドシステム」というと、計算機を発明する人類自体が生命ですよねという話に戻ってきます。それがもう一回生命の進化を加速させていく方向に行くのではないか。生命自身が自己複製するときに離散システムを取り込んできて、そのうち進化を複雑化させてきたということを、もう一回別のレイヤーで繰り返しているように僕には思えるのです。それがいったいどういった生命になるのかはまだわからないのですが。森田 そこで気になるのはコンピュータと、それ以前から存在する生命との生態学的な関係です。生命は複製して自己保存していくだけでなく、生態系のなかで、他の個体と、「個体」という概念が無効になるくらい混ざり合っています。 「混ざる」というのは、双方向的なプロセスで、ハチと花の関係のように、あるいは菌根菌と植物の関係のように、相互に呼応し合う関係の上に成り立つと思うんですが、計算の帰結に対して生命の側がどこまで応答していけるか。これからますます計算の中身がブラックボックス化して過程が見えなくなり、双方向的な関係を成り立たせていくのが難しくなっていったときに、生命とコンピュータの関係は、どういう風になっていくと思いますか。鈴木 コンピュータは速いですからね。森田 そうなんです。鈴木 だいたい情報処理を加速する方向に使いますからね。遅い方向にコンピュータを応用することはあんまりないですね。森田 速すぎるコンピュータと、セックスするわけでも食べたり食べられたりするわけでもなく、どうしたらもっと交われるのか。ただ道具として使うということではなく、混ざるという観点から考えたときに、僕たちはコンピュータとどういう付き合い方ができるのでしょうか。鈴木 多細胞生物になったという事象が、生命の進化の歴史において大きな事件ですよね。多細胞生物は、器官というものを生み出すことができるようになった。生体全体の中で単一の機能を担うものが生まれると、役割分担ができ、特化した機能を一個一個の細胞が持つようになりました。 ニューロンは情報の伝達や処理に特化していきます。腎臓の細胞だったら毒素をフィルタリングするという点に特化する。それぞれの細胞が別々の役割を果たすことができるようになる。 機能がそうやって分化するところが、多細胞生物の大きな特徴ですが、これを実現するためには、一度はコード化のような作業を通すのが必須のように思えます。 つまり、複雑さを爆発させるためには空間構造だけでは駄目で、一個上のレベルに上がるために、ある種すごく単純なシステムに一回落としてしまって、それによって複雑なシステムが、メタレベルで湧いてくるような過程を経るんです。一度「離散性」を通すことで複雑さのレベルが上がっていくイメージですね。 ただし、この離散化は擬似的なものです。本当の離散性ではなく周囲からのノイズが含まれていて、これが進化の可能性を広げていく。そういう生命の進化の歴史の中に、人工言語としての計算というパラダイムが一九世紀に生まれてきたことは、生命の進化にとってどういう意味を持つのか。
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